2024.03.19
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心道法師(日本語)

釈心道(1948年10月11日~)の俗姓は楊といい、ミャンマーに生まれた台湾仏教の比丘(僧侶)である。霊鷲山仏教教団の開山大和尚であり、世界宗教博物館及び国際NGO「愛と平和のための地球家族」(Global Family for Love and Peace)の創設者でもある。
 
 心道法師は南伝仏教・チベット仏教・中国仏教という三つの法脈を兼ね備えている。1994年、ミャンマーのウクダラ国師自らの手で南伝仏教の三壇大戒を授けられ、ウグダラ(「除障」を意味する)の法号を賜った。2001年、チベット仏教ニンマ・カトク派のモッツァ・リンポチェによって前世はニンマ派の虹の光の成就者であったと認定され、パキドルジェ(吉祥金剛)の法号を賜った。2007年、本煥長老の法脈を受け継いで臨済宗第四十五代継承者(禅宗臨済宗虚雲系)となった。法名は常妙心道という。2013年、かつて剃度してくれた恩師・星雲大師より教えを授かり、臨済宗第四十九代継承者(禅宗臨済宗棲霞中興系)となった。法名は心道智達という。

 心道法師は1983年に霊鷲山で開山し、1984年に無生道場を創建して以来、「慈悲と禅」を宗派の特色として打ち立て、相前後して三十ヶ所以上の寺院・仏学院・講堂・禅修センターなどを国内外に設立することにより、仏法、禅修、慈善活動、文化的・社会的教育を推進する活動に尽力してきた。2001年には世界宗教博物館を創立して、宗教の枠を超えた対話と理解を進めるために海外の宗教者の間を奔走した。近年は、霊性のエコロジー教育及び地球と平和を愛する理念を広めることを目的として、地球のための大学──生命及び平和大学をミャンマーで創設する準備に積極的に取り組んでいる。

 心道法師は2005年にスリランカで「仏法発揚貢献栄誉賞」、同年にインドで「平和、寛容及び調和のためのモティラル・ネルー賞」(Pt. Motilal Nehru National Award for Peace, Tolerance and Harmony)、2006年にミャンマー政府から「仏法発揚貢献最高栄誉賞」(Aggamahāsaddhammajotikadhaja / “Outstanding Contribution to the Propagation of Buddhism Award” from the Myanmar Government)、2010年にミャンマー政府から「禅伝授栄誉賞」(Mahākammaṭṭhānācariya / “Excellence in Teaching Meditation Award” from the Myanmar Government)をそれぞれ受賞し、同年にアメリカの理解寺(Temple of Understanding)から「宗教の別を超えたグローバルな将来構想者」に選ばれた。2013年にはタイのワット・ボウォンニウェート・ヴィハーラ(Wat Bowonniwet Vihara)から「仏教最高貢献賞」、2014年にミャンマー政府から「上座部大業処阿闍梨最高禅修栄誉賞」(Aggamahākammaṭṭhānācariya / “The Highest Meditation Achievement Award” from the Myanmar Government)を受賞し、2021年には中華民国文化部から文化協会勲章(博物館、地方文化館及び街づくり部門)を受章した。

生い立ち

出生
心道法師は1948年にミャンマーのラーショー県ライダオシャン郡ライカン村に生まれた。祖籍は中国雲南省で、俗名は楊小生という。

少年時代
1952年、父親の楊小才が殺害された。母親の李淑貞は妹の楊小苹を連れて家を去り、そのまま行方知れずとなって、その後、音沙汰がなくなってしまった。当時まだ4歳だった楊小生は当初、叔母の楊小四に育てられたが、叔母の病没後、叔母の夫であった尹湖南に連れられて山間地帯を放浪した。1957年、尹湖南の友人であった士官の魯定洲から勉学を理由に遊撃隊へ誘われて加入した。軍隊の上官が彼の名前を楊健生に変えたが、「楊進生」と書き間違えられてしまった。ミャンマー山間部でゲリラ戦を展開する中、補給の弾薬を携帯するよう何度も命令を受け、戦争の残酷さと人生の無常とを骨身に感じ取った。これ以後、戦争を嫌悪し、平和の追求を誓った。

来台
1961年、ミャンマー孤軍が台湾へ撤退したのに伴い、成功嶺「幼年兵中隊」に編入された。1963年初め、台中の潭子新興小学校に正式に転入した後、部隊が桃園へ移駐したのに伴い、大渓の員樹林小学校に学ぶ。

修業

観世音菩薩を導き手として奉る
1963年、幼年兵中隊の医務官・張啓富が観世音菩薩の聖なる御名を口ずさむのを初めて聞いたとき、涙が止まらなくなった。張医務官から一冊の経本を贈られ、「大悲呪」の読み方を習い始めた。『観世音菩薩普門品』とジャータカを精読し、これより観世音菩薩を導き手として奉ることにした。遠光法師や常縁法師と面識を得て、潮音寺で仏法を学び始める。修業を畢生の志にすると決心し、両腕や背中には「吾不成仏誓不休(われ悟りを得ずんば休まざるを誓う)」「悟性報観音(悟性によって観音に報いる)」「真如度衆生(真理は衆生を救う)」といった言葉や「卍」の印をはっきりと刺青で彫り込んだ。

出家前
1964年、桃園の龍潭農業職業学校に合格した。1965年、新竹の関西中学へ転校する。素食(仏教的ベジタリアン)であるため「斎公」と呼ばれるようになり、一貫道の伝道師である謝鳳英と知り合ってその助けを得て、一貫道などの信仰に触れた。1966年、桃園県中壢の龍岡第一士官学校に合格した。1967年、親友の李逢春と二人で「梅盟党」を結成し、竹の筏で海を渡ってミャンマーに潜入してミャンマーの人々を助ける実践行動を展開しようと企てたが、筏がひっくり返ってしまったので、そのまま派出所へ出向いて自首した。本来は無罪であるが、軍籍から除名してもらうため裁判官に重い量刑をお願いしたところ、禁固8ヶ月の判決が出された。1968年、願い通りに兵役停止となって除隊した。肉体労働者、配達員、茶摘み労働者、米屋の店員など様々な職業を経て、社会においてそれぞれ異なる階層の生活状況を深く体験すると同時に、道教・台湾民間信仰・儒家思想などにも触れる。1972年、親友の李逢春が病没した。命は短くも苦しく、かくも早く終わってしまうはかなさを感じ取り、決然と出家して修業の道に進むことにした。

出家・受戒
1973年、観音菩薩の出家日である農暦9月19日、仏光山の星雲大師のもとで剃度・出家した。号は慧中、名は心道として、仏光山叢林大学に入る。同年、苗栗の法雲寺で戒律伝授式に参加し、明常法師・成一法師・道安法師のお三方を師として、心道法師と法縁の深い戒徳老和尚が首席、悟一法師・成一法師が次席となって開堂儀式が取り行われ、正式に三壇大戒が授けられた。出家者として先輩にあたる仁海法師(道源長老の弟子)から只管打坐(ひたすらに座禅を組む)の心構えを伝授され、この法門での修行に精進する。座禅をするといつも一晩中かかり、修業のリズムが他の人たちと徐々にずれるようになってしまったので、托鉢の徹底的な実践へと心が傾いた。

頭陀行(托鉢)
1974年8月、仏光山に別れを告げると、遠光法師が住んでいる台北外双渓ほとりの住まいへ行き、その脇に建てられた蘭の栽培室に一人住まわせてもらい、ここを座禅所として十二頭陀行の修業を始めた。孤独と恐怖を喝破し、修業期間中に次の言葉を得た。「月児寂寂雲黙黙、悄悄聞得未生香(月は寂寂たり、雲は黙黙たり、悄悄としていまだ生まれきたらざる香りをかぐ)」。

墓場修行
1975年2月下旬、星雲大師の差配により宜蘭の雷音寺で堂こもり修業を行なったが、寺院の後の鉄工場がたてる騒音に悩まされ、15日間いただけでここを去った。そこで、星雲大師の指示により、宜蘭県礁溪郷二結村莿仔崙にある円明寺へ移って修業を行なった。円明寺は1917年の創建で、慈航法師と星雲大師もかつてここへ来たことがあった。しかし、すでに年ふりて建物はボロボロであり、辺鄙な場所にあって荒涼としている。北側は墓地で来る人は少ないが、それがまさに心道法師の心情に合っていたので、1975年3月14日からここで第一段階の墓地修業を開始した。日々ひたすら座禅を組み、心の中のわだかまりはなかった。1976年、許聡池が最初の在家弟子となった。

1977年、円明寺が大改修を行うので、心道法師はそこから100メートルほど外にある霊山塔に移った。引っ越しの前夜、夢に韋駄菩薩がその巨大な金色のお姿を現し、『金剛経』『般若心経』「大悲呪」を誦唱し、最後に「仏光普照」と唱えるのがはっきりと耳に入った。霊山塔の周囲には墓地が集まっている。心道法師はここにおいて第二段階の墓地修業を開始し、座禅修業を主とした。時にはふもとの「仁愛之家」(老人福祉施設)へ行って遺体の運搬を手伝ったり、重症の老人の体を洗ってあげたりもした。心道法師は、霊山塔は一生座禅をしていく上で非常に良い場所だと考え、この場所を「啊!霊山禅院」と名付けた。一日中座っていると、心と霊性とが一体化するのを感じ取り、次の言葉を得た。「体性寂然、虚無体性、常住虚無、不離体相(実体が静かであれば、虚無が実体となり、常に虚無であっても、この世の実体や現象から離れることはない)」。後にまた次の言葉も得た。「霊明虚照大千界,寂滅性空体如如(霊性が明らかであれば虚心が大千世界を照らし出し、涅槃に至れば万物に区別はなく一体のものである)」。

墓地修業の期間中、幽冥界の衆生が悲しげに泣くのがしばしば聞こえてきたので哀れみの気持ちが沸き起こり、毎日、「大悲呪」を唱え、『金剛経』の読誦で回向して、三悪道の罪に苦しむ衆生の解脱を願った。その後、霊鷲山仏教教団が成立すると、無生道場で円満施食の法会を主宰し、毎年農暦7月には水陸空大法会を始めたのは、いずれもこの時に発起した悲願による。あるとき座禅をしていたところ、ミラレパ尊者が現われ、手で頭をなでながら「普仁」の法号を賜った。1979年、龍潭湖畔付近の丘陵地に転居し、「如幻山房」を建てた。これは「生死無常、夢幻の如し」という意味である。ここで第三段階の墓地修業を始めた。夜は墓地で座禅を組み、毎日18時間以上瞑想した。それは4年の長きにわたったが、この期間中に次の言葉を得た。「円満寂靜不動尊、無生無滅無涅槃(円満にして静かなる不動尊、生きることなく、滅することなく、涅槃に至ることもなし)」。

信徒や来訪者が日を追って増えてきたので、瓦ぶきの建物を建て増し、経典を読んで修業したり人々に教えを講じたりする場所とした。瞑想中に「常寂光土」の四字が見えたので、この新しい寺を「寂光寺」と命名した。1980年、カルマカギュ派のカル・リンポチェ一世による時輪金剛灌頂の儀式に参加して「無畏」の法名を受け、四手観音を授かり、大手印を伝授された。同年、寂光法師が最初の男性出家弟子となった。1981年、法性法師が最初の女性出家弟子となった。

断食と堂入り
1982年、年末に胃が取られることを夢で見て、起きてから考えるに、長期的な断食を始めることにした。「辟穀法」(五穀の食事をやめる修行方法)の百花丸の製造方法を含める断食修行の方法と要訣を獲得し、1983年4月の初めに断食の堂入り修行を始めた。二週間後近所の周振東挙人宅の遺跡で篭り続け、6月から新北市福隆荖蘭山へ拱南宮普陀巖の洞窟を借り、三ヶ月間こもっていた。9月21日(中秋節)自作の法華洞に移り、こもった。1985年4月、インドに巡礼するため、二年に及んだ断食修行を終えた。

弘法
霊鷲山仏教教団の創設
1983年9月21日、その年の中秋節にあたる日、霊鷲山を開山した。1984年、旧暦6月19日、本殿が開眼した。最初は「不動寺」と名付けたが、弟子の法性法師が「無生道場」に改名するようと提案し、その後、僧・俗弟子が日に増え、信者が世界中に広がるようになった。仏法が大衆の利益になるため、心道法師が1989年に霊鷲山般若文化基金会を創設、1990年に霊鷲山護法会を、1994年に霊鷲山慈善基金会と世界宗教博物館発展基金会を、1997年に霊鷲山仏教基金会を創立。また国内外に、台湾、ミャンマー、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ニューヨークなどで、三十ヶ所以上の寺院、仏学院、講堂、禅修センターと共修所などを設立することにより、仏法、禅修、慈善活動、文化的・社会的教育を推進してきた。法師は霊鷲山の宗派の特色として「慈悲と禅」を打ち立て、「生活すなわち福の田であり、仕事すなわち修行」という「生活禅」を提唱し、観世音菩薩耳根円通法門を核心とし、長年の修行の心得を取り入れ、現代人に適する「平安禅」を創設し、一般人を禅の修行で心身を整えることによって、気付きができ、覚醒される本性を呈することを教える。

水陸空大法会の開始
1994年、墓間修行に発した悲願の縁によって、心道法師は苦労を憚らず、出家と在家の弟子らを率い、第一回水陸空大法会を開始した。以来、2021年に28回水陸空大法会を行い、一回も絶えることない。心道法師は法会儀式に対し、極めて厳密で、周全であることを要求、冥土・現世にも利益をもたらし、満願できるように達し、そのため霊鷲山水陸空大法会が宗教界で規模最大の水陸法会の一つとなった。2013年、法会創立の20周年を迎え、心道法師が自ら「大普施(大布施)」の三文字を書き、霊鷲山水陸空大法会の主題とし、また偈を発した「普濟十方眾,施樂拔諸苦,齋戒入經藏,滌心大懺悔(十方の眾生を遍く救済し、楽を施し苦から抜く、齋戒し經藏に入り、心を洗い大に懺悔せよ」で法会の精神――悲願、厳密、平等に応じる

世界宗教博物館の設立
「いかに人類が宗教的利益を獲得し、差別の念を捨て、お互いに学習しあい、それぞれ各自の居場所が得られるの?それは宗教精神を通し、つまり尊重しあう、寛容の態度で、共に生命の博愛で愛と平和を推進することで」という理念で、心道法師は早い時期、1990年に世界宗教博物館の準備処を設立した。1994年、財団法人世界宗教博物館発展基金会が正式に登録し、心道法師の弟子、邱澤東居士が師父を支持し、新北市永和区の2000坪のビルを贈呈し、世界宗教博物館の使用に提供。十何年の準備期間を経て、世界宗教博物館が2001年11月9日に開幕し、その日も「世界宗教の和平の日」とされ、世界中の38ヶ国の宗教界のリーダー、代表が台湾に集まり、交流しながら祝った。宗博館の理念は、あらゆる宗教を尊重し、あらゆるグループを包容し、あらゆる生命を博愛すること。2008以来、毎年の春に、世界宗教の新春平和祈祷会を行い、これは心道法師が宗教の枠を超える対話するプラットホームのもう一つの具体的な実践。

平和への志と国際交流の展開
1996年、心道法師は中東のトルコ、イスラエルを訪ね、イスラム教、ユダ教、バハイ教などの聖地の遺跡を巡礼し、招聘されスピーチした。同年、タイへアジア宗教と和平協進会(Asian Conference on Religion and Peace, ACRP)に参加。1999年、南アフリカのケープタウンへ第三回PoWR世界宗教大会に参加、その時「21世紀の仏教―私の思考、体験及び期待」、「ミレリアムにおける心の挑戦―希望は世界宗教博物館にて」などのスピーチをし、宗教、平和などの理念で外国の友人らと座談会をし、その後、法師は招聘され第四回から第八回に絶えず参加し、各国の宗教界の方々や学者らと交流した。2000年、国連の「ミレリアムにおける世界宗教リーダーのサミット会議」(Millennium Peace Summit of Religious and Spiritual Leaders)に参加、会議中に祈祷文を発表し、会議後国連の宗教を越える平和グループに要請された。

2002年、心道法師はアメリカニューヨークで「愛と平和、地球の家」(GFLP)を設立、宗教を超える交流や対話を推進し、また創立者として国連の第55回NGO年会に参加し、911の周年記念式で、当時の国連事務総長アナン氏とともに祈祷した。同年、アメリカのコロンビア大学で第一回「仏との対話」を行い、長年をわたって引き続き実際の行動で異なる宗教間の平和的対話を提唱した。2021年の「第17回仏との対話及び第二回青年たちの仏との対話:霊性的なエコイベント」至るまで、時間は20年間に至り、場所はジャカルタ、パリ、テヘラン、バルセロナ、モロッコ、北京、台北などを含め、ユーロップ、アジア、アフリカの三大陸を跨る。

2003年、国連総部で行われたNGO年代で「宗教対話の平和への貢献について」とスピーチをした。2004年世界宗教博物館でゴルデン共作と平和協会、台北市政府共催の「霊性とエコの永続:水―我々の共同のルーツ」という国際シンポジウムで、「グローバル倫理と世界平和―宗教の目下の任務」を題にスピーチした。2014年、アイスランドのレイキャビクへ第二回人類の精神フォーラム(Spirit of Humanity Forum)で愛と慈悲の重要性を語った。2016年、オーストリアのウィーンのアブドゥッラー国王宗教と文化を超える対話国際センター(KAICIID Dialogue Center)で地球を愛し、平和を愛すスピーチをあげ、宗教を超える交流の経験をシェアした。

2017年、バチカンへ赴き天主教教皇フランシスコと会い、「地球を愛し、平和を愛する」運動に参加するよう教皇を要請した。同年には、霊鷲山教団とバチカン宗庁宗教対話委員会が共同で第6回仏教徒とキリスト教徒の国際対話会議を開催し、「仏教徒とキリスト教徒が手を取り合って、非暴力の道を歩む」というテーマを掲げた。また、2021年、バチカン、イギリス、イタリアのバチカン駐在の大使館によって開催された「信仰と科学:COP26に向けて」の会議に参加し、「霊性的な知恵に戻り、万物が共通の根源を持つことを理解する」という考えを述べ、「戦争を止め、核兵器を廃止することは、環境と生態系を守るために必要なことである」と強調した。

2022年3月3日、心道法師はロシアのウクライナ侵攻に対し、「エコのため戦争をやめなければいけない」と呼びかけ、同時に全ての宗教に戦争と被害者のために祈祷するよう要請した。

教育・文化・慈善事業の推進
心道法師は民衆に関心を持ち、つねに「生命は生命を奉仕し、生命は生命を貢献する」ことで弟子を励まし、教育的・文化的、慈善活動に尽す。1989年に霊鷲山般若文教基金会を、1990年に霊鷲山護法会を、1994年に霊鷲山慈善基金会を創立、内政部、文化部、新北市政府などに称揚され、宗教団と公益団体の代表となった。2003年三乘仏学院を成立し、僧侶教育に活水を注ぎ、毎年禅修と堂入りを定め、精進してきた。信者の教育面では、多様で活発であり、禅修、巡礼、法会のほか、児童向けの仏学キャンプ、青年向けの仏学を学ぶキャンプ、慧命成長学院、竜樹生命平和教育センター、そして長年にわたって学校で推し進める心の平安運動など。2014年、心道法師は自らの修行体験で悟った心得と仏陀の教法の「四期教育」を融合し、各地の講堂で初級レッスンを開始した。「四期教育」は阿含期、般若期、法華期、華厳期を含め、禅を軸とし、仏陀の教法で僧・俗の教理、システム、組織、そして弘法を貫き、仏学を学ぶ道でもあり、仏になる教育でもある。

心道法師は、文化が人の心を変化し、失われた倫理観を戻すことができることを信じ、2002に宗教文学賞を設立し、また霊鷲山般若文化教育基金会で附属の出版社を創設し、経典、仏学・宗教類の書籍を出版、映像作品、文化創意のグッズを制作、多種の宗教類、学術類の刊行物を発行、『国際仏学研究』、『訳萃』、『般若文教』、『有縁人』、『宗博』隔月刊、『生命教育』半年刊、『生命平和』隔月刊、『弄蔓』季刊などを含め、各種の講座、イベント、及び展覧会を開設した。慈善活動について、2003年に普仁賞を設立し、需要のある学生を支持し、毎年水陸空大法会で寄付してくれた平安米、塩、油などの物資を、長年に慈善団体や低所得者に義援してきた。

また、台湾の911大震災、南アジアの津波、ミャンマーのナルギス災害、中国の四川地震、ハイチの地震、そして最近のネパールの地震など、教団は心道法師の引率で、祈祷、念仏回向、物資義援などの実際的行動で愛を示した。国内外を問わず、医療、無料診療、無料朝食提供、一人暮らしの年寄りの世話、家屋や飲用水などインフラの再建、孤児の世話、心のケアなど、さまざまの面での慈善活動は、全ては心道法師の大衆を思う大願の表現である。

生命平和大学の創立
地球全体の生態系の健康、生命の永続、霊性的な生態を覚醒させるため、心道法師はミャンマーで生命平和大学(University for Life and Peace, ULP)を創設、大学をプラットホームとし、地球を愛し、平和を愛する人々を繋げ、教育、文化、宗教、有機農業、医療、慈善などの多様的機能を持つ平和基地を作る。2016年6月、ミャンマー弄曼沙彌学院を開始させ、第一回の学生を受け入れる。心道法師は、これからさらに多くの学生を受け入れ、仏法と平和のたねを培う。2017年、生命平和大学国際総部はアメリカ・ニューヨークのマンハッタンで成立。同年の5月29日―30日、生命平和大学の第一回のシンクタンク会議はドイツのレーゲンスブルクで行った。9月27―30日、第二回シンクタンク会議はミャンマーで行った。

2017年10月8日、10月10日、霊鷲山教団は高雄と台北で二回の生命平和音楽会をし、その際、心道法師は正式に台湾社会に生命平和大学の創設を公表した。2018年1月、ミャンマーのヤンゴンの省長Phyo Min Thein氏が心道法師を訪ね、生命平和大学の設立に協力することを承諾。2018年2月、霊鷲山は生命平和大学のキャンパスとして、ミャンマーのバゴー地方の600エーカーの土地を購入。2018年5月23日―24日、生命平和大学シンクタンク会議はオーストリアで行われ、2019年1月9日―23日、第一回生命平和大学ウインタースクールはミャンマーのヤンゴンで行われ、テーマは「生態危機の深層ルーツを探求:新しい策略へ」。第二回ウインタースクールは2020年1月8日―18日で行われ、場所はミャンマーのヤンゴン、テーマは「地球を癒しー生態とテクノロジーの転換活動」。第三回ウインタースクールは2021年1月22日―23日、29日―30日はオンライン授業で、テーマは「方策:目下の生態系の緊迫とした状況を鑑み、我々はいかに方策を決定、実施するのか?」2021年12月8日、心道法師は国連の教育科学文化機関(ユネスコ)、オランダの国際水利環境工程学院(IHE Delft Institute for Water Education)の校長Eddy Moors博士と共同教学の基本合意書を締結し、水利環境の教育分野で共作するように計画した。

受賞関係
2005年 スリランカ仏教の最高賞「仏法発揚貢献栄誉賞」
2005年 インド宗教交流平和基金会(Inter faith Harmony Foundation)の「平和、寛容及び調和のためのモティラル・ネルー賞」(Pt. Motilal Nehru National Award for Peace, Tolerance and Harmony)
2006年 ミャンマーの「仏法発揚貢献最高栄誉賞」(Aggamahāsaddhammajotikadhaja),    “Outstanding Contribution to the Propagation of Buddhism Award” from the Myanmar   Government.
2010年 ミャンマーの「禅伝授優秀賞」(Mahākammaṭṭhānācariya), “Excellence in Teaching Meditation Award” from the Myanmar Government.
2010年 アメリカの理解寺から「宗教の別を超えたグローバルな将来構想者」に選ばれた
2013年 タイの僧王寺(ワット・ボウォンニウェート・ヴィハーラ)の第二回「仏教最高貢献賞」
2014年 ミャンマー政府から「国家最高栄誉上座部全国大業処阿闍梨最高禪修成就賞」Aggamahākammaṭṭhānācariya), “The Highest Meditation Achievement Award” from the Myanmar Government.
2021年 中華民国文化部から最初の文化協会勲章(博物館、地方文化館、街づくり部門)を受章した。